教育。英語のおはなし。

今日は、水曜・木曜でやる授業の予習。というか、テキストの内容が厖大すぎるので、きっとカヴァーできない箇所の英文の構造を解説するプリントを作った。やはり、ワード使いが下手なので、こんなに苦労して作ったけど、役に立つのか、とても不安。

そんなわけで、今日は英文解釈のお話。
なぜか昔、私が個別で教えた人に言われた「手品みたい」という言葉について、ずっと考えていた。彼女が言わんとしていたのは、おそらく、わからない箇所を聞くと、必ず正解に導くことができる、という趣旨だろう。まあ正直に言えば、1年前に扱った教材を再読して解釈すると、また間違いに気付く、という次第で、決してそんな、手品師というには程遠いのだけれど。それでも、ある英語の文章を与えられたら、それを納得できる形で説明する、「文脈」という言葉を使うのではなく、なぜ解釈Aは正解で、解釈Bは不正解なのか、という点を、英語の言語的特徴と、文章の論理構成から説得的に説明する、ということについては、相対的に、得意にしていると思う。

では、さて。英語の教師の仕事ってなんだろう?
本当に駆け出しのころは、「英語の構造は全て4大品詞に還元できる〜」なんて言って、その構造を明らかにすることで満足していた。
でも最近は、「ほら、ここでthatが出てきたでしょ、そしたら次は完全文が来るぞ〜て期待しながら読まなきゃだめなんよ!」とか、「動詞がassociateでしょ、その瞬間、associate A with Bを期待しなきゃ!」みたいな話を主にしているような気がする。

自分が英語を読むときの無意識の動きを、できるだけ伝えていこうとしているわけだ。

で、ここまでやってもなお、やはり「読解」の教育の難しさを日々感じる。なぜかと言えば、そこで教えた一つの文が、無数のバリエーションに開かれて頭の中に定着しなければ、英語の読解の授業は完成しないからだ。つまり、大いに教育を受ける側の努力に依存するわけだ。

幸い、私の仕事の半分は、「訳」という充実感のある作業の教育である。そこには私なりのメソッド、訳す上でのテクニックみたいなものも、かなりある。そういうものを教えられるのは、自分の売りであろうとも考えている。

ただ、その先である。
どうやって、「読解力」は伸びるのだろうか?ひとつの答えは、どうやらやはり「音読」であるらしい。去年、個別指導で読んだSLA、第2言語習得の教材にも、そう書いてあった。
しかしほかにないのだろうか?

私は、英文の6割くらいにしか妥当しない規則を「これを守れば英語は読める!」みたいな嘘をついて教え込むのは嫌だ。それは、「過剰般化」にしか思えない。
(また、仮にそれをやろうとする場合、それに見合った段階論的なデータベースを用意しなければならない。その意味で、そういった法則を打ち立てて、それで仕事をしている人の手法に賛同はしていないが、そうした人を心から、その努力と情熱に関して尊敬する)

さて、さて。

結論はないのだけれど、とりあえずこんなところで。
そろそろ、行く準備をしようかね。