金曜日〜アーティストファイルとベルギービールと中村光

昨日は仕事が早く終わる日。それだけ稼ぎも少ない日であったのだが。
そろそろ目の前に迫りつつあるシーズン開始を視野に、ちょっとした楽しみを見つけるために金曜日を使う。

仕事終了後に、六本木の国立新美術館に行って「アーティストファイル2010」を見て、本当はどっかに寄りたかったのだけど、節約のために、自分でベルギービールを買って、中村光の『荒川アンダーザブリッジ』の1〜3巻を買ってきて読む。



やはり、ヒューガルテンとシメイはとても美味しかった。普通のビールの2倍の値段の価値は、、、たまになら、ある。
荒川アンダーザブリッジ』は、満を持して購入。『聖おにいさん』のような、爆笑ではないが、よりマニアックな笑いを提供してくれた気がする。

そして、「アーティストファイル2010」だが。やはりこういう、「同時代」のものが、一番好きなのは変わっていない。展覧会の趣旨にも書いてあったが、決して同一テーマを設定したわけでもないし、作品も、別に2010年に作っているわけではないので、その意味で「2010」という言葉にそれほど強い意味があるとは思えない。
ただ、そんな中で、ある種の共通性というか、見るうえでの同一基盤があったとすれば、それはやはり「視点」ということだろうかしら。
いや、「視点」なんて、ほとんどモダニズム以降の永遠のテーマなのだが、作品にもよるけれど、強く感じたのは、「複数視点」とか「視点によって見えるものが変わる」とか、そういうんじゃなくって、「視点によって見えるものが変わるのは知っている。で、私/僕は、この視点から見るよ!」という感覚だろうか。
その意味で、一番心惹かれたのは、齋藤ちさとの、「気泡」、特に、東京タワーの風景を気泡を通して撮りながら、なぜか自由の女神ちゃんが映りこんじゃっている写真。(あれ?もしかしてどっかにレプリカがあるの?だったらオオボケだけど)
どんなものを撮るのにも、気泡(炭酸水?かなんかを入れた水槽)を間に入れてしまうこの人は、どうも、気泡に興味があるらしい。(気泡にしか興味がないらしい?)気泡が綺麗に映れば映るほど、後ろの被写体はなんだかぼんやりとする。でも、たま〜に我慢してのことかな?気泡の向こうの被写体に焦点を当てると、ありゃまあ、なんだか変なことがおきちゃうぞ、と。

複眼とかも、いいもんかもしれないね。僕たちはいつも、自分の目の前になんかフィルターを置いて「見ている」/「見ないでいる」のかもしれないね。でもさ、いっそ開き直って、気泡のほうに、フィルターのほうに焦点を合わせてみようよ。というか、もうここから見るしかないじゃない。

いつも気泡を通して見てたら、同じものしか見えないじゃないかって?とんでもない。気泡はひと時たりとも、同じ姿なんかしてくれないし、現れてはいなくなるよ。
でも、気泡ばっかり見ていたら、向こうにあるものが見えなくなるよ?わかんないじゃん。向こうにあるものの形が、気泡に反映してないなんて、どうしたら言えるのさ。

まだ覚悟がきまんないけど、ためしにこんな風に生きてみようかなあ。

今日は、ゆっくりしようと思ったんだけど、あんまりゆっくりしすぎて、ゆっくりしかたがわかんなくなってしまったので、仕事、してみた。