16世紀イスラム建築の「近代」的冒険

本日は、仕事の関係で訳を教えた論文のお話。

Gülru Necipoglu "Challenging the Past: Sinan and the Competitive Discourse of Early Modern Islamic Architecture"
(ギュルル・ネジポオール「過去への挑戦−シナンと初期近代イスラム建築の競争的言説)

http://www.archnet.org/library/documents/one-document.jsp?document_id=3615でダウンロード可能なよう。安全性は大丈夫だと思うが、責任は取りません。)

この論文は、16世紀のオスマン帝国の建築家、シナンを中心に、彼の作品が持つ、歴史との関係性と、様式への意識、また、彼以後のイスラム建築世界への関係などを論じている。

シナンについてはウィキ参照→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3

私自身、高校で偏った世界史学習をして以来、それじゃあいかんと思いつつも、イスラム圏の歴史に詳しくなく、もちろん建築にも詳しくないので門外漢だったんだけど、非常に面白い。

概要を述べれば、この論文で焦点を当てられるのは、東ローマ帝国の最大の遺構のひとつ、ハギア・ソフィアに対するシナンの競争意識であり、それによれば、彼の設計したいくつもの帝国モスクは、ハギア・ソフィアをある種のお手本にし、さらに、彼の属するオスマン帝国の建築的語彙を洗練したものも寄与している、という内容。しばしばほぼ同時代のルネサンス期の建築家の意識と比較し、「単に伝統の繰り返し」であるとみなされたイスラム建築において、ルネサンスの建築家たちを時にしのぐような「作家性/創造性」への言及が見られると同時に、また、彼が洗練した語彙は、別の地域(たとえばウズベキスタンムガール帝国)へと引き継がれつつ、また再解釈にさらされている、という点も述べられている。つまり、(当たり前ではあるのだが)イスラム建築において、私たちがしばしば西洋の芸術の運動に見出すような、歴史的対話、越境的対話、この論文で言うところの「間テクスト性」が見られる、という話である。

この論文で特に興味深かったのは、
(1)シナン自身による、自分の作家性への矜持
(2)間テクスト性のはらむ、敬意と競争意識の入り混じった緊張関係
(3)建築を通じてイスラム世界のダイナミズムを描き出す、カルチュラル・スタディーズとしての業績

だった。

(1)に関して、シナンは友人の詩人に口述の形で書かせた自伝的なエッセイ(なお、ネジポオールによれば、このエッセイにはシナン自身の手になる修正も入っているとのこと)を残しており、このこと自体が異例であるらしい。彼の自意識は、ひとつには、自分が「様式」を生み出した、という創造者としての意識であるが、同時に「建築」という仕事の神聖さへの意識もある。神に忠実にして、同時に天才としての矜持を持ち、また、技術的な意識の高いシナンのエッセイの引用から、僕自身は、ある種の「歴史意識」を見出したくなった。

なぜ、建築は特に神聖であるのか。ひとつには、それは、今日のような(いや、今日でも決して容易ではないのだが)技術が確立していなかった時代、彼が生み出すものは、細心の心遣いを必要とするのであり、その安定への意識は、建築家の聖なる倫理に近いものであったということがある。それはたとえば、しばしば言及されるハギア・ソフィアの崩落との対比で鮮烈な印象を与える。と同時に、建築が神聖であるのは、それがそのものとして、「歴史」になるからではないだろうか。いわば、残った建築物は、その時代に人々の栄誉、そして概念を伝える歴史そのものになる。とすれば、建築は優れて、自分達の時代を代表するものであるのだ。(このあたり、木造建築中心の日本などの建築意識と、石造りの建築の意識の差異なんかはもちろんあるだろう。)

建築にたずさわること、それは、単にパトロンの権力の誇示であるばかりか、そのパトロンと共に、「時代」を残すことでもあるのだろう。

独立したジャンルとしての意識、自らが属する文化への意識、時代性の意識、そして先行するものへの緊張関係のある言及。こうした、私たちがいわゆる「モダニズム」芸術に見出すような特徴が、16世紀トルコ文化圏の中に見出されることが面白い。そして、建築という分野が、ある種、そうした意識を持つのに格好の分野なのかもしれない、など、色々と考えてみたくなる。


(2)
ほぼ(1)で述べてしまったんだけど、シナンの、ハギア・ソフィア、およびそれによって影響を受けた、イスラムトルコの建築への関係の二面性は非常に面白い。それはもちろん、単なる真似でもないし、過去の否認でもない。ちなみに面白かったのが、同時代のルネサンスの建築家とシナンを比較して、両者の、自らの属する古代への意識を論じつつ、両者の差異として、ルネサンスはローマ・ギリシャの芸術に対して大変関心を持ちつつ、自らの直前の様式としてのゴシックを否定することで成り立っているのに対して、シナンの場合、古代への言及は、直前の時代への否認のために存在するのではない、ということだ。彼は、歴史気的にも地理的にも、様々な知見を持つ建築家だが、彼の建築が引用するのは、トルコイスラムの建築なのである。このあたり、ヨーロッパ圏の芸術の歴史意識と、シナンが(あるいはイスラム圏が)持っていた、芸術における歴史意識の違いなんかも考えられるかもしれない。

いずれにせよ、ネジポオールは、初期近代イスラム建築において、環地中海的というか、越境的なダイナミズムの共時的な軸と、古代〜近代という通じてきな軸のいずれにおいても、非常にダイナミックな関係性を描き出している、と思う。


(3)
そしてそれは、彼女の研究の「政治性」についての示唆でもある。次に読む論文が、同じ著者による論文で、シナンを「トルコ」に回収しようとするナショナリズムと、「イスラム」を「遅れた文化/歴史を欠いた文化」と解釈しようとする西洋的「オリエンタリズム」両者への批判の文脈で、シナンを論じたものであるので、なおさらそう思うのだけど。
彼女の仕事は、決して一枚岩ではなく、でも、ある種の共通文脈を持ったものとして、アラブ世界に留まらない広がりを持つイスラム圏の地図を描き出している。その意味では、これは優れたカルチュラル・スタディーズの可能性を、丁寧な実証によってしめした論文なのではないだろうか。

というわけで、けっこうな時間をかけて読んで訳した論文なんだけど、実に面白かった。そして、次の論文はさらに面白そう。

お金もらいながら、こんな風に面白い勉強ができるのは、本当に幸福なことだ。

いつか、ここで言及されている建築物を見に行きたいなあ。