クリスマスイブの朝ながら

とある大学院の入試問題(英語)からの抜粋。出典不明。
あまりにも、最近自分が考えていたことと一致するので貼っておく。

★★★
5人のゲイ男性の肺炎から、100万人のHIV−ポジティヴに広がって以来の10年間、エイズアメリカにおける最悪の面を明るみに出してきた。私たちは大量死の只中、伝染病が指数関数的に増大しているなかで、「ライフスタイル」の強迫観念にとりつかれているのだ。
1991年、私たちは一人のエイズ患者の正典(キャノン)化を目撃した。この患者は、23歳の、××という女性であり、彼女は「何も間違ったことはしていない」と言う。これは法の言葉であり、それゆえ彼女は、国民的シンボルになるのだ。××は、歯科医によって感染させられた、性交渉の経験のない美しい白人女性である。彼女は、一部の人々が「無垢な被害者」と呼びたがる者である。
(1)その「無垢な」という一つの形容詞で以って、私たちは、性交渉によってエイズにかかったり、汚染された(麻薬の)針によってエイズにかかった人々を、有罪で、究極的には助けと共感に値しないものとして非難するのである。ゲイ男性には彼らかかった病気が当然の報いであり、麻薬を注射する者は、死んだって仕方ない、と私たちは暗示しているのである。これはどこかしら、ステアマスター[階段型のエクササイズマシン]の上での厳しい苦行の最中、心臓発作で亡くなった健康意識の高いジョギングに励む人には同情しつつ、カウチ・ポテトの男性を亡くした未亡人には、「ああ、あんなにホットドッグを食べなければ、こんな目には逢わなかったのにね」と言うようなものだ。
★★★

最後の部分って、ほぼそうなっているよね。まさに、生−権力。この話は、またいずれ。