1週間。
11月15日から11月21日の記録。
最近私は、「ブログ文体」というものが存在することに気付いてしまった。いや、あらゆる媒体には「文体」もあるし、その文体を守りながら、自己の文体を葛藤的に提示するのが、「表現」なんだってのは十分にわかっているのだが。それでもなんだか、あまりにも規制力が強い。それはたとえば、文頭の一文には決して「私」という主語は使わない、ということであったり、その日のごはんを必ず書くとか、そんでもって、重要人物の名前を説明ナシに告げるとか、ほのめかすとか、そんで、その日記の中には、出来事の経過に軽い雑感を混ぜるとか、そんで、ご飯を書くとか。で、これから行うことを書く、とか。
いや、たけおぽんのことを言っているのではなく、この形式が実に安らぎを与え、実際、優れた文章を書く人でも、たいしたことない人でも、なんだか適度に読むグルーブが形式的に決まっていて、それを守れば、なんとなく素敵な文章に見える。なんとなくね。決まった読者を想定しつつ、しかし、なんとなくパブリックにも開かれている、みたいな。生ぬるい公共性と私秘性。生ぬるい。
文体ということに関していえば、僕はとても文体が曖昧で、というか、憑依されやすく、たとえば、町田康なんかを3時間ぶっ通しで読んだあとなど、町田康の文体もどきで思考を支配されるし、この間お風呂で岡崎京子のPinkを久々に読んだときなんて、頭の中が、オザケンとオヤマダとオカザキの混ざったワニ視点でこのブログの原稿を考えていたり。で、ちなみに川端を読んだあとは、ぜんぜん川端の文体で思考したりはしないのは、きっと川端がすげーんだろうなあ、とかね。この憑依されやすさは、本日のこの1週間の記録の中で、おそらく言及するであろう、僕の近日の欝的傾向の大元にあるものと関連し、おそらく、僕のその、他者に自己を委ね、自己の存在意義を他者に求めてしまう傾向(それも、特定の他者、たった一人の人に求めてしまう傾向)と、その閉塞感からの離脱→破壊→焼け野原というサイクルと関連しているように思えるだけに、どうにかならないか、と。
たとえば、こういう文体の問題に取り組んでいるのが、このブログの数少ない想定読者の一人であるところの背教者なんじゃないかと愚行したり。とか言いつつ、なかなか読めないのは、単なる嫉妬であったりとか。あ、想定読者、正直現状、たけおと背教者しかいないんだけど、「実はおれも/私も読んでますよ」って人、いたら教えてね。いないかもだけれど。読者へのサービスって、大事さ。
なんとかそうしたものに抗した文体を手に入れたい、「つよい文体」を手に入れたい、と思った瞬間、これって最近僕が勝手にそれを見てへこんでいる「つよい雑誌」というフレーズと重なるな、と思って、まったくもって暗い気持ちになったりとか。ああ、言葉とはなんと有限にして不自由にして暴力的なることかな。
というわけで、ブログ文体でスタート。
月曜日。
なんだか記憶があやふやだけれど、先週の最後に記した日曜日の過ごし方ができず、かなり朝寝をした気がする。週の頭から暗い気持ちであった。しこうして、あまり仕事も進まず、その日の準備だけを行って仕事に行く。この日の職場は「アウェー」なので、「僕はただの駒、ここではただの駒」と言い聞かせてから教室に入る。
駒なのが嫌なわけじゃない。ただつい、スタンドプレーに走ってしまうんだ。そんな自分が嫌なのに。少々理不尽なこととか、つまらない規範でも、ちゃんと守って安穏とすごしたいのに、ついついつい、余計な一言、余計な人間性がはみ出す。だからと言って、別に仮面を被るのが良い、というわけではないんだが。「アウェーは引き分けで十分」なのに、ついつい、「2−0からのダメ押し」を狙ってつい、「2−3の逆転負け」を食らうような、そんなことがおきそうで怖いなあ、と。
現時点で語りなおすならば、そんな気持ち。
授業を頑張った。ちなみに、どうも僕のことを苦手としている教え子さんがいるようである。普通に教えているのだが、どうしても僕はキャラクターが強いので、生理的嫌悪感?そういったものを覚える人が、ごく稀に出てくるようだ。申し訳ない。僕のことを嫌いにならなければ、もっと僕が言っていることが頭に入って、学習の効率が上がるのに。ごめんね。
夜は焼鳥。自分で鶏をフライパンでじっくり焼いて、塩をメインに、酢醤油などをあわせて食べる。
ビールととても相性が良い料理だ。
その後、川端康成の『名人』を、ビールのつまみに読む。凄い作品だ。名人の肩について、「なにかが勝負にあたってわきあがってくるのを目撃した」みたいなことを、素敵文体で記して、「うわあああ」て思わせておいて、「あれはどうも心臓の小発作だったらしい」などと、数十ページ先で軽く覆すセンスに脱帽。
火曜日。
朝9時半から夜21時半まで、フルタイム。いや、労基法的にアウトかい?私のような、特定の会社に「所属」していない「非常勤」の勤務時間についての規定はどうなっているんだろう?でも、みんな残業とかで、1日12時間くらい働いているんでしょう?
このあたり、よくわからない。ただ、私が「この時間しか入れられません」って無理矢理ねじこんだために決まった日程であることは付言しておこう。夜の安らぎ、翌日の快適さよりも、目の前に発生する仕事に飛びつかなければならないときもあるのだ。
夜、昨日の鶏の残りを、野菜、トマトソースと共にいただく。あ、カボチャの塩蒸しも昨日仕込んでおいたのだった。まずまず、悪くない晩御飯を食べたのだけれど、ここで落とし穴。
なんとなくゲームがやりたかったのだが、ビールが残り2本しかなかったので、野球のゲームではなく、『信長の野望』をセレクト。私の家にはこの2つしかソフトは無く、いずれも古い。特に前者は、普通に野村ケンジロー監督が現役だったりする。この頃のカープの打線は凄かったな。金本は、まだカープ所属だったっけ?まあ、放出だが。
で、このゲームは、もはや完全に儀式となっている。野球のゲームは、その日の緊張感を、別の、「やってくるボールを集中して打ち、配球を考え、守備を行ったり盗塁を狙ったりする」という緊張関係の中で癒すものであり、「得点が入ったらビールを飲む/守備イニングが終わったらビールを飲む」というリズムが決定していて、約、1試合45分のプレー時間で、ビールを1.3Lほど消費するのである。これに対して『信長の野望』の場合、一応頭を使いながら、しかしまあだるだるに、ちょっと考えている気分に浸りながら、だらだらとビールが飲めるのだ。弱点は、先に進みたくなること。思えば、ゲームというものは、とにかく「もっと先へ」という力でもって成立している。このゲームなどもそうだ。
そう、やらかしてしまったのです。翌日もまた、早朝に起きて添削等に励まなければならないのに、つい途中で、ビールまで追加して、寝たのは4時。こんな愚かなことは久しぶり。
水曜日。
前日の失敗は前日の失敗として、取り戻せるだけ取り戻すべく準備する。まあ、その日の授業で困らない程度には取り戻した。
それでもちょっと暗い気持ちではあったのだけれど。
夜は、何を食べただろう。予定表には、「カキの酒炒り」や「ニラのおひたし」などという文言が心高らかに躍っているが、バカか。そんなん、帰ってきて作る気するわけないじゃないか。夜の22:30に。
ああ、思い出した。前々から、よく行くアイリッシュパブの隣にある焼き鳥屋が気になっており、焼鳥ならカロリーもほどほどになるし、と向かったんだ。結果、あまりに大失敗。それ以上批判はやめよう。食べ物にケチをつけるなんて、お行儀が悪い。でも、もう行かないかな。
この街は、僕が以前、ワンルーム2部屋を隣に借りて同居していた女性と住んでいた街の隣である。この街には、彼女と度々訪れた焼き鳥屋があるが、そこをついつい、避けてしまう。
僕がへこんでいる最大の原因は、彼女が結婚していたことだ。これは「未練」であろう。しかし、自分から関係を徹底的に破壊して、ひたすら逃走した関係に対して、どんな未練を持つというのだろうか。「情」はあるのだろう。でも、逃げなければならないと思った。これは、木曜日の日記にて。
木曜日。
上記のような思念にもとづいて、朝からくら〜い気持ちでいたのだが、仕事は楽しかった。いや、本当に仕事は楽しいの。
最近、自分の仕事を野球選手にたとえたり、お料理屋さんにたとえたりする。(ちなみにこのお料理屋さんにたとえる、を、ちょろっと土曜日に話したら、「ロスがないところが違う」と指摘され、「なるほど」と思った。材料が自分だけ、というのは僕の仕事の特権的な経済性だな。その割には儲からないけれど)
野球選手で、試合が嫌いな人はいないだろう。野球は楽しいのだ。そのプレッシャーも含めて。でも、その為に彼らは、自分という唯一の資本に手をかけて、辛いことがわかっている練習などを行い、決して無茶なことはせず・・・いや、していて自分につけが回っている人もたくさんいそうだが・・・。つまり、「お客さん」のいないところで努力しているのであり、その努力の量と質が、プレーの質に反映される。
僕もそうだ。受講生の前では、僕は本当に楽しい。授業をやるのが嫌、なんてことはありえないのだ。たとえそこで、問題が生じても、そのベースには「授業の楽しさ」がある。ただ、そのために十分な準備を行わなければいけない。というか、そのツケは必ず、授業の質になって出てくる。それはたとえば、受講生の目には、「1塁まで全力で走らなかった」「中継プレーを怠った」などのように映ることもあれば、「完全なKO負け」のように映ることもあるだろう。それだけに、準備はちゃんとやりたいんだ。完璧なんて無い。だけれども、それを目指すのを止めてはいけない。
そうそう、仕事の話は、水曜日の話と綺麗にループする。上述の女性は、いわゆる「クリエイティブな仕事」についていた(る)。当時のことを語れば、僕はいまだにあの関係において自己を正当化したいという欲望にかられてしまうので、詳細は決して記してはならないのだが。彼女の話を聞いていて、僕はおそらく、嫉妬に駆られていたんだろう、あるときから。だから、なんでそんなに楽しい思いをしているのに、そんなに愚痴ばっかりなのさ。僕の話をさせてよ、と思っていた。僕のことなんかわかんないよな、と、実に恥ずかしい思いを持っていた気もする。
僕の仕事は、とても「クリエイティブ」である。本当に面白い。だけれども、僕の仕事場はいつも渋谷で、僕はいつも、同じ建物に、同じ時間に向かう。同じ場所で過ごす。新しいヒトとの交流や、仕事場の人とごはんを食べる機会なんか限られている。彼女の「今日は誰々に会った、今度出張でどこそこに行く、今週は飲み会だ、ああ面倒くさい(あなたと週末過ごしたいがセットだったのに、僕にはそれが見えなくなっていた)」などの文言に対して、完全に嫉妬していたのだろう。
あのとき、彼女のそばにいて、僕は、大好きな仕事が、なんだか、単なるルーティンワークにしか見えなくなりそうで怖かった。何より、彼女に日々巻き起こる、困難、不安、楽しみ、そうした話を聞いていて、彼女が気を使って言う「今日、○○は仕事どうだった?」の問いに対して、なんて答えて良いかわからなくなっていたのだ。
さて、話を戻そう。木曜日はボジョレーヌーヴォー解禁日。完全に定着した感がありますね。大好きな246+1でボジョレーを1口飲んだ後、アルゼンチンのワインをたくさん飲む。ご飯は絶品でした。キノコのマリネは定番料理なんだけど、臨時のお勧めで、和牛の手挽きハンバーグがありまして。ええ。ステーキでしたよ。劇烈なおいしさで。口の中で、赤みの牛肉の味が広がり、それを楽しんで、さあ、飲み込んだ、というところでアルゼンチンのワインを流し込む!極上。
246+1食堂は、なんだかとても不思議なお店である。お店は「カモメ食堂」なんかを思い浮かべてもらえれば近いんじゃないだろうか?ここでは、とても素敵な雰囲気をまとった2人の女性が、一生懸命おいしいごはんを作ってくれる。で、飲ませてくれる。ついでに、おしゃべりにも付き合ってくれる。(とにかく本当に忙しいので、ちゃんと空気を読んで、ほどほどに喋っています。たぶん。ちがったらごめんなさい。)
で、ここには本当にクリエイティブな人々が集まってくる。いわゆる「クリエイティブな仕事」についている人のみならず。(あ、ちなみにここでのキーワードになっている「クリエイティブ」の陳腐さの責任は、全て、僕に帰する。で、定義はない。そう思えたら、そうだってことさ)
なんか、ここでの人々を見ていると、自分が単に、仕事をさらに「外に開く」っていう作業を怠っているだけだと感じたわけだ。もうこの瞬間から、欝解消!超やる気満々。って、何をやるわけでもないけどね。なんか、いろんなことができそうな気がするんだ。もちろん、人に迷惑かけないで、僕のもっとも大事な美徳であるところの、慎重さと丁寧さと堅実さを失わないでね。なんか、そんな風に思えてくると、かの女性との関係性への未練が、かなり楽になった気がした。
かの女性との関係性への未練。それを僕は、「お金?」とも思っていたのだが、そしてそれはあるだろうし、もちろん、それだけだと鬼畜であり、二人で泣き喚いたり、二人で笑いあう日々という蓄積を台無しにしたことの後悔(ただ、僕はできれば泣き喚く関係性は嫌なんだ。本当に苦手なんだ。中村一義みたいには歌えないんだ)であり、その人の持つ、世界への能動性、突進力、世界観、そうしたものを共有させてもらっていたことへの感謝の不十分さへの後悔であり。
でもね、僕の特技は、好きだった人から、いろんなことを学んで、全部自分のものにしちゃえることだって。で、だから僕は、色々できるのさ、て。
はい。
ずいぶん赤裸々な印象を受けたと思うけど、これは明日の夜の、2人とのお酒を、なんだかぐるぐるした僕のつまらない愚痴で汚さないためなんです。そんなもの読まされる人は困ると思うのだけれど、僕のことをなんだかんだ愛してくれる人は、そんなの大丈夫だろうと。
そんな最高の夜ご飯でした、とさ。
金曜日。
最高の夜ご飯の代償としての、準備不十分。朝の授業はイマイチでした。ごめんなさい。その後、昨日のお酒が少し残っていて、食欲がないなかで、渋谷のガード下で塩とあぶり鳥のラーメンをいただき、スクランブルカフェでひたすら、携帯電話をいじって過ごす。携帯電話がすごい状態で、本当に機種変更をしなければならないな、と改めて思うわけだが、まあ、そんなものだ。
夕方、「ホーム」に向かって個別指導1件。途中のアイドリングが効いたか、いい感じだったと思う。
夜は、なんだか胃もたれしていたのか、食欲がなかったのだが、ビールをある程度飲んだら勢いがついてしまい、近所のラーメン屋でさらにラーメンを食べるという大失態。最初はふと面で濃厚スープのあと、替え玉は細い繊細なちぢれ麺などという恐ろしい芸当にしてやられて、大変満腹で就寝。ダイエット、台無し。
土曜日。
ほぼ1日、このブログの文面を考えて過ごしていたようにも思うが、気のせいだろう。とはいえ、半ば欝的傾向と共に、やたらと自意識が肥大しているので、思考がどんどん広がっていく。こういうのは、嫌いじゃない。個別指導2件の合間に246+1食堂で、あるコラボのスペシャルランチ(鶏のグリル+栗とキノコと白菜のクリームソース、春菊のサラダ、かぼちゃのお味噌汁)をいただき、終了後、さらに246+1に突撃し、ちいさなおつまみと共に、ビールをけっこう頂く。で、寝る。
教室で、ある女性に「火曜日に先生が自殺する夢を見た」と告白され、自分の転移的な指導が有効に機能していることを確認し、そして、そんな風に心配をかけるようなものが伝わってしまっていることに気がつき、なんとも申し訳ない気持ちになる。ごめんね、絶対死んだりしないから、安心してね。もちろん目の前では、「あはは、なんでだよ」と笑いながら言ったが、それは彼女の心配をちゃんと打ち消しただろうか。無意識レベルの。
日曜日。
せっかく週の後半は良い感じだったのだが、朝起きた瞬間に浮かんだ想念が「ああ、1日しか休みがない」。なんて残念な思考回路。
そこで、逆に開き直って、今日を有効活用しないことを心に決める。
朝4時半くらいに目が覚めたのだが、午前中はとにかく布団でぐだぐだと過ごし、漫画を読んだり、眠くなったらうつらうつらしたりして、昼すぎに近所の、上述のラーメン屋とは別のラーメン屋で、大量のラーメンを食らい、また布団に入って16時くらいまで寝る。
すっごく後悔しそうな過ごし方をしたのに、あれれ、不思議。上機嫌だ。そうかあ、こういうのも必要なんだなあ。
布団から出たら、すみやかに紅茶を用意し手帖を開いて、来週の予定を立てる。おお、いい感じ。たまっていたメール、案件に片っ端から対応し、上機嫌で、今、ブログを書いている。
今日のこのあとの予定は書かない。
でも、明日の夜、たけおとプロファネとお酒を飲むのは本当に楽しみです。
世界人類の幸福を祈れますように♪
おやすみなさいませ。
そしてもし、ここまで、飛ばし読みでもなんでも読んでくれた人がいたならば。本当にありがとうございます。来週はもっと楽しんでいただけるように、一流のエンターテインメントを目指して頑張ります。