1週間。

朝、妙なハイテンションの下、これからは1週間の日記をまとめて週末書いたりしよう、と決心した。その後、仕事を執り行うにつれ、その決心ははるか彼方に行ってしまい、なかったことにしようと思ったんだけど、それもあまりなので、やっぱり書こう。

言葉はまさに溢れんばかりに自分の中に横溢しているのだけれど、それが全然多声的でないどころか、ただの自己正当化、ルサンチマンの塊にしか思えなくてあんまり発したくないような気になったりする。ので、とりあえずは抑え目で行こう。

つぶやくことを度々進められ、僕自身魅力を感じているのではあれど、しかし今は、手軽に思考の断片を拡散するのはやめた方が良さそうだ。1ヶ月後くらいにはなかったことにしたい呟きにあふれそう。


月曜日。
月曜の仕事が午後15時から、というのは、最近、土曜日にも仕事が入り、日曜日も家で仕事の体制の僕にとっては実に貴重なことだな、と思いながら、あまり家事もできず、添削をこなし、午後から仕事に向かった。
夜ご飯は、覚えていない。夏に購入したあと、本命を別の場所で購入してほとんど存在意義のなくなっていたロクシタンのシャワージェルを入浴剤にして泡風呂入って、ビール飲んだ。


火曜日。
この日は大学受験のほうのお仕事で、初めて個別指導が入った。まあ、他の先生が空いていないという要因が大きかったのだろうけれど、一歩前進。気合を入れて準備する。ちなみに、朝9時半から夜21時半まで、ずっと仕事だった。火曜日の帰宅のずれが、どのようにして水曜、木曜に悪影響を及ぼすか、思案しつつ、前日と同様の風呂に入ったような気がする。


水曜日。
前日の帰宅のずれは案の定、悪影響を及ぼし、水曜の授業準備がちゃんと終わらないまま仕事に行く。それに加えて、「最近服を買いすぎだな」というよりは、「最近服を買いすぎているのに、なおかつ買い方が下手くそで、ローテーションが上手く行かない」という事実に直面し、軽くへこむ。でもやっぱり、マーガレットハウエルは好きだ。
つい、暗い気持ちになりそうだったので、夜ご飯のことなどを考え、あえて笑顔をいつもよりも増やして仕事をする。悪くない。
夜ご飯は、職場の近くの246+1(ニイヨンナナ)食堂。いつも美味しいものを食べさせてくれるので、逆に何を食べたか忘れてしまうのだが、鮭を日本酒でいただき、閉店間際、赤ワインを2杯いただいて、かなり上機嫌で帰宅。
その夜、ついつい酔いのせいで、きっとこうなるだろうな、そしてそのことに僕はへこむだろうな、と思う事実と直面してしまい、本当にへこむ。軽く、金曜日の朝くらいまでは引きずる。


木曜日。
1週間の中でもっとも厄介な(ただし、もっとも楽しい)仕事の準備がうまく行って、夜〜朝の暗い気持ちが一変する。楽しく仕事をしたのだが、夜はやはりまだちょっと。というわけで、一人ではあんまりいたくない、という理由で近所のアイリッシュパブでギネスをしこたま飲み、チキン&チップスをしこたま食べる。
友達が多いほうではないのだが(というか、友達として集まる人数単位が少ないだけだろうか)、それにしても友達はいないわけではない、と思い、そういう人に声をかけて遊びに行ければ良いのだけれど、自分の時間がなくてそれができない、というアポリア。世の中本当にままならない。


金曜日。
午前中、渋谷のある方面で仕事をし、午後は夕方まで空きで、夕方から別の方へ仕事をしにいく、という効率の悪い日程。しかし、今の僕にはある意味助かる日程だったかもしれない。(そりゃ、午後すぐに仕事が終わってそのあと即帰宅→ビールだったら、それは最高だが。)
お昼ごはんは、渋谷の宮益坂下の蕎麦屋?飲み屋?で、カツ丼と小さいソバのセットなどというものを頂く。なんだかサラリーマンみたいだ。スーツ着てるし。まあ、ネクタイは革だけど。
その後、まったりと高架下のスクランブルカフェでお茶をしながら添削。小春日和の午後の陽射しのもとで、軽くまどろみながら。思い出との葛藤などもしつつ、人生をできるだけ愉しむ決意を再度固める。
夜ご飯は、軽い週末気分のため、東急で寿司を購入し、エビスをしこたま飲んで、ゲームにいそしむ。


土曜日。
昨日に続いて、まず12時から仕事、2時間半空けて、16時から仕事という効率の悪い日程だけれど、かえって、効率が悪いくらいのほうが良いかもしれない。僕は比較的「効率」で物事を考えるほうだと思うのだけれど、効率が悪い時間は、ゆとりのある時間だとも思う。
そんなわけで、246+1食堂で念願のランチ。火、木、土と、ランチ営業をやってらっしゃるのだけれど、いつも家で授業準備をぎりぎりまで繰り広げている僕は、授業前にランチに行けた記憶がない。
一番上にあった、お魚のメニュー(西京漬け的なもの?)は売り切れだったのだけれど、僕はイメージフォーラム前の通りに入ったあたりから、甘しょっぱい香りに惹かれていて、それが食べたくなったので何も問題はなかった。鶏とサツマイモの甘辛煮?焼き?だったかな?名前はともかく、調理法はともかく、とっても美味しくいただけました。
夜ご飯も246+1に行きたかったのだけれど、そういう気分になることを見越して、あらかじめ自分に制限を課すために前日から鮪のヅケを仕込んでおいたので、ヅケ丼。しかし酒が進むにつれ、自分のタガがはずれ、結局、焼きソバもこさえて食べてしまった。
一応ダイエット中なのに、全然ダイエットっぽくないのが僕の食生活。まあ、仕事が肉体労働なのでね。
って、油断して夏に太ったことを思い出すべきだ。
ちなみに昼間、ほとんどもう、壊れてWEBが満足に使えなくなった携帯電話で、僕の人生の大事な1ピースが大連に行くなどと寝言をほざいていやがるのに気付いて、まあ、暗い気持ちになるどころか、「さらに面白いことになってきたな」と思った。


日曜日。つまり今日。
僕にとって今、人生の日常的活動で一番楽しいものである活動を行う。それは1週間の予定を立てること。予定というものは良いな、と日々思う。それは、空っぽの未来に対して、縄張りを立てる作業。設計士の仕事ってこれくらい面白いんだろうな、と思う。予定に縛られてしまい、あるいは予定を守れなくて落ち込む人もいる、と聞くのだが、僕自身に照らして言えば、僕はとても楽天的で、自分の人生がもしかしたらもう半分以上終わっているかもしれないなんて考えず、常に新しい未来がまだあるように思ってしまう性質なので、予定は、理想の自分なのだ。だから楽しい。
そして、予定を立てることを楽しんでいたら、午前中をつぶして午後に入り込んでしまい、今日やろうと思っていた予定を潰してしまったけれども、それはそれで良いのじゃないだろうか。
ただ、同時に思う。僕は自分の予定を立て、それを実現できないまでも、それに近づいていくことが楽しい。そして、実現できない自分を許してきた。それが、僕が今こうした、不安定な立場において仕事をしなければならなくなっている原因でもあり、かつ、その仕事で、他のどんな仕事についていた場合よりも幸福を感じている理由でもあろう。だから、これは良いと思う。
でも、人といっしょに立てた予定は、僕が一人で立てた予定とは違うんだ。当たり前だけどね。これは約束なんだ。だから、人に言う「予定」は、もっと丁寧に考えようと思う。
そしてしかし、それを壊してしまったとして、「もし仮にあの予定をもっと厳守していたら」と思う自分を戒めようと思う。

予定から外れるということは、良いことも悪いことも生み出す。いま、たまに自分の人生がどこに向かっているのか、自分の生きがいが何なのか、たまたま見えなくなったとして、自分の仕事、自分の勉強に、甲斐を感じなくなったとして、いまの生活が、ただのサバイバルにしか見えなくなっても、それはそれで大丈夫。
僕は今、種を蒔いているのだろうと思う。そう、この日々の生活が、とにかくリタイアしないように1日1日死に近づいている、という性質のものでなく、「環境によって一定の可能性の範囲に狭められているにせよ、しかし決してあらかじめ決定されているわけでも、予測可能なわけでもない未来」(Elizabeth Grosz)に開かれている、と信じるために。
僕はちゃんと、この1日1日を、半ば義務的に、記録に残していこう。

来週は、毎朝、仕事の準備とかを始める前に1時間半のマージンを取った予定を立てた。もちろん、もう予定はずれているから、この予定を守れるかどうかわからないんだけど。
この1時間半を、純粋に自分の楽しみに使おう。フロイトの『自我論集』と川端康成の『名人』を今週中に読めたらいいな。まあ、仕事のための側面もあるが。

今日はこのあと、ローズマリーを入れたお風呂につかり、風呂上りにビールを飲みながら、トマトソースを作ってオレキエッテを茹でて、カボチャを蒸して、晩御飯にする「予定」。