お勉強日記〜Fredric Jameson 1

本日の素敵なお言葉。

「自由の領域が現実に始まるのは、実際、必要と日常的懸案によって決定されている労働がおわるときである。したがって本質的に、自由の領域は現実の物質的生産を超えたところにある。・・・必要の領域を超えたところで、それ自体が目的となる人間のエネルギーの発展、つまり、自由の領域が始まるのだ。しかし、自由の領域とは、その基礎として必要の領域があってのみ、繁栄するのである。」

(The realm of freedom actually begins only where labor which is in fact determined by necessity and mundane consideration ceases; thus in the very nature of things it lies beyond the spehre of actual material production.[...] Beyond it[a realm of necessity] begins that development of human energy which is an end in itself, the true realm of freedom, which, however, can blossom forth only with this realm of necessity as its basis.)

マルクスさんがおっしゃっている。
(翻訳へのつっこみ禁止♪もちろん拙訳。参照しとりません。)

なんとなく、今の心境にぴったりなので。
しかしだ、大学院に約10年近く通っておきながら今さらマルクスの超有名な階級闘争の話についての件に感動するのは、いかに自分がヘタレであるかを物語ってはいるが、まあいいでしょう。
そこから出発しなければ。

とりあえず、ジェイムソンの枠では、これが「政治的な読解/作品」と「非政治的な読解/作品」に対応して、この二分法自体が、あたかも「自由の領域」が「必要の領域」から離れたところにあるかのように考える虚偽意識のなせる業ってことになるわけだな。そんでもって、マルクス主義の政治的読解の優位性が明らかになるわけだ。
さて、ではその「政治」とはどんなものだろう。当然、上述の件が問題になるわけで、いまんところ、これがある種の「普遍的な」(超クォーテーションつき)地平として担保されるんだろう。
では、そこで言う「政治」は上述の二分法における「政治」とどのように異なっているんじゃろうか。

と、こんな感じで、チョコチョコっと毎日少しずつ読んで、たまに感想を書いていきましょう。

本来公開する性質のものではないな。
まあいいや。励みになるでしょう。

ついでにもう一つ、公開する性質のものじゃないメモ。
本日引いた単語。

consign vt.  「委ねる」
ashcan n.   「灰皿」←おい。
subsume vt.  「包摂する」←こら。
Zhdanov     「ジダーノフ」←待て。
spell out   「詳述する」←ひどいな。
subset n.   「部分集合」←実はちゃんと引いたの初めて
hew vt.    「叩ききる」←はじめまして
scaffolding n. 「足場」←何回引いてるんだよ。
schismatics n. 「教会分離論」←こいつはいいや
Tiresias    「ティレーシアス」←古典は苦手なんだよ 
mundane adj.  「日常的な/世俗の」←学生に見せられません。
reification n. 「物象化」←お〜〜〜〜い。これでマルクス読めるか

というわけで、英語力の衰えを晒して自分のお勉強にするのです。